2022年1月15日 /

今日は共通テストですね、ちょっと長めに呟きます(志岐のなんちゃって教育論①)

今年の共通テストに挑む8名の塾生様、大変ですが、、日本の学校教育を12年受けてきた最後のイベントとして、、良い思い出になりますように。

簡単に言うと、、暗記(それも日本の学校英語教育で英語を学ぶなら何がともあれ必須)だけでなく、論理的思考力が測れるように練られた「共通テスト」らしいのですが、、ま、要は、「英語」においては特に、当たり前の理解力を伴った速読力(それでも、日本語よりも遅くていい)の養成が大切だと思います。

学校教員をしていた時も、「今年の生徒は地頭いいよね〜(悪いよね。。。)」などのぼやっとした評価が職員室で飛び交っていましたが、じゃ、そこって教育によってどう養っていくものか、またはそもそも学校教育によって養うべき領域なのか。。もやっとした気持ちだけが常に存在していました。地頭良い、、って一つの解釈は「解釈力に長けている」かもしれません。それって、母語である言語を通してになるのは当たり前ですので、そうすると、それは産まれた瞬間からの話になりますね、、、

私の専門学問は、英語であり、応用言語学でした。様々な知識は今の私に役に立っていると思いますが、、やはり産まれた瞬間から、子供に自然に質の良い言語的刺激を与えることは素晴らしいことだと思います。このように書くと、、中高生になってしまった我が子は手遅れだ、と感じるかもしれません。私の母は生涯をかけて、0歳児から大人まで「読み聞かせ」活動をしてきましたが、きっかけは目から入る読書でなくても良いのだと思います。人それぞれに、生涯をかけて知への好奇心を得る縁があり、それが読書などの活動に繋がるでしょうから。

よく、うちの子は国語力がない、本を読まない、と相談されることもありますが、

「本を読みなさい」

これ、やめたほうがいいと思います。そう言って快く読み始めるわけありません。何事も強制されての事であれば、、やりたくない気持ちを生むのは当然です。そのような気持ちの下、何かをやっても良いものを生みだしません。簡単な事です。。(親にとっては難しいですけどね。。。分かります)

完璧な親はいないと思います。親だからと言って、完璧でなくて良いです。ま、それでも私が両親から受けた教えの中で人格形成に役立ったと思うものは、「自分がされて嫌だと思うことを人にしない」かな。。。

「勉強しなさい、そうしないと、、〇〇テストで点が取れないよ」

な〜んて言われて、私なら勉強する気にはやはりならないと思います。

今日は、とりあえず、ここまで。。