2025年3月27日 /

英語をやるって?

2025年、春🌸ですね。

去年の今頃はオーストラリアはメルボルンを自ら訪問しましたが。。今年はスタッフをイングランドへ派遣することにしました。人は目を肥やすと、どのタネも撒きやすくなり、大きく育ちます。その希望を胸に。。

 

さて、薬院志岐英語塾はわたし志岐がデザインする個人指導塾で、現在私を含め3人の経験豊富な指導者で生徒様の英語を指導、コーチング・サポートしています。

 

英語学習といっても、生徒様個人のマインド、目的、そしてスポンサーである保護者様のマインドもさまざまです。絡まった紐を一つ一つ丁寧に解き、シンプルな一本の紐にするような作業を感じることも多々あります。そしてその紐を絡まないように太い太い紐にしていく指導デザインで、一人一人の生徒様と過ごしているような塾です。

 

そんな塾で、生徒様サイドから逆に指導者が、「自分がやっていることは平坦な道のりではないけど大丈夫。」と強い安らぎを感じることも、時にあり嬉しくなります。下は生徒様の一人Y君が、わたし志岐とのセッションでつぶやいてくれた内容を、あらためて書いてくれたものです。

 

〜 Y君が送ってくれたメッセージ 〜

英語は、ただの勉強科目ではなく、「コミュニケーションのためのツール」であるべきだ。テストのために文法や単語を暗記するのではなく、「英語を使って何かを伝えたい」「英語を通じて世界を広げたい」と思えるようなものが理想である。例えば、英語ができれば海外の人と直接会話ができるだけでなく、最新の情報に触れたり、映画や本を原文で楽しんだりすることもできる。しかし、学校では「正しい英語を使わなければならない」という意識が強くなりがちだが、完璧な英語でなくても「伝わること」が何より大切だ。英語を話すことへの抵抗感をなくし、「間違えてもいいから使ってみる」という姿勢を持てる環境が理想的だと思う英語は楽しく、実践的で、使えば使うほど「もっと知りたい!」と思えるもの。そんな学び方ができれば、英語はもっと身近で役に立つものになるはずだと私は思う。

 

「学校での科目」の英語がどう変化し指導されようと、出口に現状の大学受験が待ち構えている限り、また、学校での成績処理がある限り、それはそれの英語学習になることは否めないでしょう。しかし、どの英語をやる(ここ日本にはいろいろな英語があるのです😅)にしても、そこに使う時間、労力が無駄なものであっては何も報われず、苦しいだろうな、と思います。わたしは、そこが嫌だなとシンプルに思っています。Y君が書いてくれた内容で、特に色をつけたところ、そのマインドに導いていくことがわたしの塾のポリシーです。

Y君、有難う!これからも頑張ってほしいです。